忍者ブログ
こっそりと詩を書く男の人
  プロフィール
HN:
たもつ
年齢:
56
性別:
男性
誕生日:
1967/06/05
自己紹介:
こっそりと詩を書く男の人
  ブログ内検索
  月間アーカイブ

  最新記事
(04/10)
(03/29)
(03/27)
(03/22)
(03/20)
  最新コメント
[09/10 GOKU]
[11/09 つねさん]
[09/20 sechanco]
[06/07 たもつ]
[06/07 宮尾節子]
  最新トラックバック
  投票所
     
クリックで投票
 ↓ ↓ ↓
人気blogランキング
    
  バーコード
  カウンター
[455] [454] [453] [452] [451] [450] [449] [448] [447] [446] [445]
2024/04/27 (Sat)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2002/03/04 (Mon)
「何のために生まれてきたのか」という命題は
大いなるロマンチシズムであり
その裏返しとしてそう簡単に答えが出るものではない

「何のために生きているのか」これもまた
ほぼ同義語であるといえるだろう

これを「何のために生きていくのか」とすると
それは甚だ現実的な問題となり

これなら自分でも数行の世界の中で展開できるのではないか
などと考えるのだが

今日も冬の木枯しの冷たさに
コートの襟を立て

(追記)
親愛なる友人Sへ
2点ほど御指摘をいただいたので

1点目として
「何のために生まれてきたのか」と
「何のために生きているのか」が同義語であるとするのは
いささか強引ではないか、とのことだが
確かにおっしゃるとおり
「何のために生まれてきたのか」という回答の中には
「生きるため」という選択肢も含まれるだろう
したがって「生きるために生きる」という回答をフェアとしないのであれば
選択肢が一つ多いわけだから同義であるとは言えないかもしれない

しかしながら「生まれるために生きる」という回答も必ずしも無いわけではない
とするならば選択肢の数は同じとならないか

2点目として
「何のために生きているのか」と
「何のために生きていくのか」こそ同義ではないかとのことだが

「金のために生きていく」ことは一つの姿勢として評価できるとしても
「金のために生きている」のはなんとも寂しいことと言えはしないか

親愛なる友人Sよ
きみのバーバリーのコートもかなりくたびれてきたようだ
買いかえるなら良い店を紹介する
PR
この記事にコメントする
name*
title*
color*
mail*
URL*
comment*
password* Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]

* ILLUSTRATION BY nyao *